「愛する人に同じ思いをさせないために」
がん医療を動かした患者たち――その歩みの記録と今後の課題
本田麻由美
読売新聞社会保障部記者
ここ数年、がん医療の分野では、次々に患者の声を取り入れた政策展開が行われてきました。このような「今後の医療政策を決める場への患者参加」の道を拓いたのは、他ならぬがん患者自身です。がん医療を動かした患者たちの行動を、長年にわたって見守り続けてきた一記者の渾身のレポートを連載でお届けします。
「がん患者の声も聞いてください。検討会の報告書に反映していただきたいのです」
2005年1月20日、東京・霞が関にある厚生労働省9階の会議室。「第4回がん医療水準均てん化の推進に関する検討会」(座長=垣添忠生・国立がんセンター総長(当時、現在は名誉総長))の議論が終了すると、傍聴していた「癌と共に生きる会」の佐藤均会長(当時)が垣添座長の元に歩み寄り、そう言って、患者の視点からがん医療の地域格差是正や専門医育成に向けた戦略などを提案した「手紙」を手渡した。
今思えば、この時が、一つのターニングポイントだったと言えるかもしれない。
この検討会は本来、患者たちが「地方にはがんの化学療法や放射線治療に精通した医師がいない」と地域医療格差の是正を訴えたことなどがきっかけで、04年9月に設置された背景があった。しかし、検討会委員には当の患者は一人も加えられず、佐藤さんは「患者の視点による医療改革を強調する割に、今後の医療の方針を決める会議のテーブルには医療界や行政の関係者だけ。それでは本当の意味で患者が望む医療は実現できない」と危機感を持っていた。また、「均てん」という言葉にも、「生物がひとしく雨露の恵みに潤うように、各人が平等に利益を得ること」との意味から、患者の中には「行政や医療界は、患者をお恵みの対象として見下しているように感じる」と、いぶかしむ声もあった。
それが突然、この「手紙」をきっかけに、政策立案者たちは患者と向き合う姿勢に一変。患者の声で、がん医療が大きく動き出したのだ。
10日ほどたった2月2日、垣添座長から「あの時頂戴しました要望書は熟読させていただきました。検討会の委員に患者さんの代表に入っていただかなかったことは不明の至り痛恨の極みです」と陳謝する返事が届く。3月に入ると、11の患者団体と厚労省担当課との意見交換会が実現したのに続き、検討会に4人の患者団体代表が招かれてヒアリングも実施された。
そうした訴えのいくつかは最終報告書に盛り込まれ、患者たちが求めた「がん医療に総合的に取り組む部署」に関して、尾辻厚労相(当時)が5月に「がん対策推進本部」を設置。8月には、やはり患者たちが求めた「がん対策情報センター」の設立を打ち出し、翌2006年6月には「がん対策基本法」の成立にまで至った。今年4月に法が施行されると、患者・家族4人を委員に含む「がん対策推進協議会」が設置され、現在、各都道府県でも患者代表が参加して議論を進めている。まさに、佐藤さんが強く訴えた「今後の医療政策を決める場への患者参加」が始まったのだ。
もちろん、この「手紙」以前から、いくつかの患者団体が未承認薬の早期承認や抗がん剤を使いこなせる医師の育成などを求めて活動を展開していた。そうしたことが、今回、患者の声でがん医療を大きく動かす土壌となったに違いないが、がん患者たちは自身の治療でつらい中、なぜ声を挙げ続けてきたのか。どんな思いで、その声をつないできたのか。よりよい医療体制を実現するために、今後、患者たちはどのようなかたちで医療政策にかかわっていけばよいのか――。
がん医療を動かした患者たちの活動記録とその思いを、行政や医療界など関係者の声なども交えながら紹介し、医療政策の場における患者参加のあり方について考えていきたい。
(次回につづく)